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名古屋高等裁判所 昭和26年(ネ)108号 追加判決

控訴人 中島顕誠 訴訟承継人 中島トミ 外二名

被控訴人 国 外三名

訴訟代理人 栗本義之助 外五名

主文

控訴人等の本訴請求中、当審において追加した請求部分は、いずれもこれを棄却する。

控訴費用は控訴人等の負担とする。

事実

控訴代理人は当審において請求を追加し、「被控訴人国は、三重県阿山郡島ケ原村農地委員会の買収計画に基く、左記各土地に関する政府の買収並に政府の売渡の無効なることを確認すべし。

別紙目録第一号表の土地(島ケ原村第一回買収、第一回売渡)

同 第二号表の土地(島ケ原村第一回買収、第一回売渡)

同 第三号表の土地(島ケ原村第七回買収、第六回売渡)

被控訴人増森武雄、同高柳兼雄、同田増菊松は、いずれも右島ケ原村農地委員会の売渡計画に基く、左記各土地の政府売渡の無効なること並に控訴人等が現在左記各土地の所有権を有することを確認すべし。

別紙目録第一号表の土地(被控訴人増森関係の島ケ原村第一回売渡)

同 第二号表の土地(被控訴人高柳関係の島ケ原村第一回売渡)

同第三号表の土地(被控訴人田増関係の島ケ原村第六回売渡)との旨の判決を求め、被控訴人等代理人は「控訴人の請求を棄却する」旨の判決を求めた。

控訴代理人が当審において追加した請求の原因として陳述した要旨は、左のとおりである。

別紙目録第一、二、三号表記載の農地(以下単に第一、二、三号表農地という)は、すべて控訴人先代中島顕誠の所有に属するものであつたところ、島ケ原村農地委員会(以下村委員会という)は、第一号及び第二号表の農地については、控訴人先代を以て不在地主と見做し自作農創設特別措置法(以下自創法という)第三条第一項第一号に準拠して、昭和二十二年一月二十九日その買収計画を樹て、之に基いて政府は右各農地を買収した。又第三号表農地については、村委員会は、之を以て仮装自作地と看做し、同法第三条第五項第二号(同法第六条の四を含む)に準拠して、昭和二十三年三月二十二日(第一次)及び同年六月一日(第二次)その買収計画を樹て、之に基いて政府は右農地を買収した。

しかしながら、右各買収は、次に示すような実体上の瑕疵と手続上の瑕疵とによつて絶対無効と信ずる。すなわち、

第一、買収実体上の瑕疵

(一)  第一、二号表農地買収に関する瑕疵

控訴人先代は、島ケ原村四三四八番地において、明治二十五年七月一日中島吟之助の次男として出生し、父の膝下に成長し、学業の後多年陸軍文官として勤務し、昭和十八年二月十八日退官の上、化学工業統制会東京本部に技術者として働いていた所、東京都板橋区板橋町において戦災に遇い、昭和二十年八月五日郷里島ケ原村に帰り、生家たる実兄中島彦五郎方の離れ屋を借りて独立の生活を始めたが、控訴人先代は、その所有する農地の自作に便利となるというので、同年十月十八日同所を去つて、そこから約半里を距てる同村三四五五番地山本三五郎方離れ屋及び農耕用納屋を借受けて移住し昭和二十三年十月末迄こゝに居住した。ところが、貸主山本三五郎は、控訴人先代から右賃貸家屋の買収申出をされることを恐れて、遽に控訴人先代に対して転居を要求したので、己むなく、控訴人一家は同年十月末同村が一〇七六番地川口きよ方離れ屋を借受けて之に転住し、依然自作を継続して今日に至つている次第である。控訴人家においては、控訴人先代妻控訴人中島トミは、前示の如く帰村以来常に右各住家に寝食し、自作田畑の耕作に専念し、その他家事を担当していた。控訴人先代は、前記の如く昭和二十年八月五日家族三人と共に帰村し、畑を自作しながら、大阪市に在る化学工業統制会社近畿支部へ勤務し、終戦後昭和二十年十月二十一日同支部の解散により退職するまでの間、終始国鉄を利用して定期乗車券により、大阪市へ通勤していたのである。昭和二十年十月二十二日より翌二十一年三月末迄は、全然いずれにも就職せず、前記山本三五郎方離れ屋に一家四人で居住し、専ら控訴人先代所有の畑八畝歩及び第三号表の田を控訴人先代自身耕作していたことは、居村多衆人の周知のことに属する。当初控訴人先代は、島ケ原村に父祖累代の墳墓を有していることとて、罹災後は、その祭祀かたがた、同村に所有せる農地を自作して生計を立てるべく、決心を固めて帰村したのであるが期待に反して、被控訴人増森同高柳の両名は、控訴人先代所有の第一号及び第二号表農地を返還してくれないので、第三号表の田一反余と僅少の畑との自作だけでは、一家の生計を維持すること困難であるのと、他方この限度の耕作ならば、農繁期控訴人先代その他の協力さへあれば、ふだんは控訴人中島トミのみの労力で事足るわけであるから、こゝに、控訴人先代自身は、昭和二十一年四月一日より京都府立桃山高等女学校に勤務するに至つた。そして、原則として前記島ケ原村の住居から通勤し、時々宇治市居住の控訴人先代長女控訴人中島綾子方に仮泊し、学校の休暇、土曜、日曜にはもとより農繁期には欠勤して、右自宅に帰り、前記自作地の耕作に従事し、以て家族用食糧の生産と供出をしてきた。

そこで、島ケ原村農業実行組合その他において、控訴人一家を在村の自作農と公認して、総べての肥料の配給をなし、島ケ原村役場においても、控訴人一家を在村者として、食糧その他一般物資の配給をしてきた。従つて、他方米麦の供出はもとより、その他の農産物及び薪炭の供出等についても、在村者の資格を以て割当をうけ、控訴人先代はすべて村民として完納しており、その他居村村民一般の共同生活に関する諸般の経費をも負担し、支出してきたのである。又島ケ原村は、控訴人先代及び控訴人中島トミを在村者として住民税をふ課しており、同村において選挙権を認められて之を行使している有様である。

なお、控訴人中島綾子は、宇治市五ケ庄梅林四〇番地(京都府宇治郡東宇治市五ケ庄梅林四〇番地、宇治市大字五ケ庄宇梅林、宇治郡宇治市五ケ庄四〇番地、宇沿市五ケ庄梅林四〇番地、東宇治町梅林官舎は、すべて同一場所の旧呼称であり、現在の正確な呼称は、宇治市五ヶ庄官有地となつている。)に仮寓し、同市小学校教員を勤め、控訴人先代より全く独立し自活しているのである。

これを要するに、第一号、第二号表の農地買収の当時、控訴人先代の住所は、あくまで島ケ原村に在つて、他所にはないことがきわめて明白であるにかゝわらず、村委員会は、このことを知りながら控訴人先代が偶々他所に出向いて留守がちなる事実を捉えて、ことさらに島ケ原村に居住せずと見做し、以て右農地を買収に及んだのであるから、その買収は違法である。

(二)  第三号表農地買収に関する瑕疵

右農地は、さきに鮮人某に小作させてあつたが、控訴人先代が前記のとおり帰村した直後同人より返還をうけ、前にも述べたとおり昭和二十年十一月十一日よりこれを他の控訴人先代所有の畑八畝歩と併せて、控訴人先代及びその家族自ら耕作を続け、農繁期以外は、他人を雇うようなこともなかつた。後日昭和二十四年六月十六日被控訴人田増が右農地の占有を侵奪するに至る迄約四年間、控訴人先代は之を何人にも賃貸借その他契約に基き耕作せしめた事実はなく、全く控訴人先代の完全なる自作地であつたのである。尤も、被控訴人田増との間において、昭和二十三年二月十一日請負契約書と題する書面(甲第三十二号証)を作成したことはあるが、その内容は、同被控訴人に対して、日傭賃を金四千五百円と定めて、耕作を手伝はしめるという趣旨であつて、決して同被控訴人に右農地の耕作を請負わせる趣旨のものでない。従つて、耕作経営の主体はあくまで控訴人先代であり、同被控訴人ではない。

仮りに、之が請負契約であるとするも、その契約は、昭和二十三年四月九日双方合意の上で解徐したのである。のみならず、同被控訴人は、右契約後右農地に立入り耕作を実施していた事実が少しもないのであるから、本件買収計画当時、同被控訴人において之を耕作の業務の目的に供していたものといいえない。

いずれにせよ、右農地は、当時仮装自作地に該当するものでないこときわめて明白であるにかかわらず、村委員会は、右事情を知りながら、ことさらに之を目して自創法第三条第五項第二号にいわゆる仮装自作地なりとして、買収に及んだのであるから、その買収は違法である。

(三)  そして、本件第一号乃至第三号表の農地は、控訴人先代において保有を許されている反別の範囲内に属する農地であるから、他の事由によつて買収し得ず、本件買収について以上述べたような違法なる瑕疵が存するかぎり、その買収は当然絶対無効といわなければならないのである。

第二、買収手続上の瑕疵

本件において無効を主張する行政処分は、買収計画、公告、承認、買収令書の発行交付の四であるが、その各々について無効なるゆえんを述べる。

(一)  買収計画について

甲  第一、二号表農地の買収計画(甲第二十六号証の一の第一回買収計画書)

(1)  同買収計画には文書作成者の表示がない。

買収計画書は、この計画決定のために開かれた村委員会の決議に関与した委員の署名捺印を要する文書である。然るに、この計画書には、之等の氏名捺印を欠いている。従て、この書面は、同委員会の買収計画の成立を証明する公文書として効力がない。

(2)  この書面には、その基礎たる村委員会のいかなる時期における決議に基くものなるやの記載がない。

故に、本件買収計画は、村委員会の適法な決議に基いたものでないことが推認されるから、違法である。

(3)  この書面には、作成の日附並に之を委員会に備付けた日附の明記を欠いている。

故に、この計画書が公告の日又はその以前に、村委員会の文書として同会に備付せられた事実がないことを推知しうる。従て、仮りに、公告は適法であつても、それより前に備付を要する文書たる計画書が、そのことなかりしため、本件買収計画は違法である。

(4)  この計画書には、買収時期の記載があるけれども、公告の日を表示していない。

公告の時期は、買収計画に関する決議において之を定め、かつ計画書自体に之を表示すべきことは、法定の要件である。しかるに、そのことなき本件買収計画は違法である。

(5)  買収計画決議に付ての違法被控訴人増森は、第一号表農地の小作人でその買収申込人である。

よつて、同被控訴人は、右土地の買収に関しては、重大な利害関係を有し、買収の決議に参与することは、法律上禁止せられているものである。

しかるに、同被控訴人は、村委員会の第一号委員として、会議に出席し、諸決議に参与し、かつ署名しているから、該決議は違法無効である。

乙  (イ) 第三号表農地の買収計画(甲第二十六号証の九の第七回買収計画書)

右農の買収計画についても、甲の(1) 乃至(4) において述べたと同様の違法がある外、さらに次のごとき違法がある。すなわち、

(ロ) 右農地については、前後二回の買収計画が樹てられた。その第一次は、昭和二十三年三月二十二日の決議によるものであり、三重県農地委員会(以下県委員会という)は、同年七月十二日この買収計画書を承認し、三重県知事は、同年七月一日買収令書を発行したのであるが、村委員会は、同年四月二十六日再審議の結果、右第一次の買収計画を取消し、改めて、同年六月一日の決議によつて、右農地につき第二次の買収計画を樹てて、之を公告した。しかしながら、同年七月二日(第一次買収計画において定められた買収の時期)までに、右第二次買収計画に対する県委員会の承認も、三重県知事の買収令書の発行もなかつたのであるから、右農地に付ては、適法な買収は未だ行われていないのである。従て、右第一次、第二次買収計画は、いずれも無効といわなければならない。

(二)  公告について

(1)  公告は、買収手続上の一個の行政処分であり、その目的とするところは、特定の買収の完全なる内容の告知である。故に、公告には、その内容として当該買収計画自体の表示を要するものである。しかるに、本件各買収計画の公告において、その買収計画を表示していない。よつて、適法なる公告たる効力がない。

(2)  公告は、之をなすという村委員会の決議を経てすることを要し、同委員会長が単独で公告をなすべき権限はない。しかるに、本件各公告には、右決議を経た形跡がなく、同委員会長の名義を以てなされているから、その効力がない。

(3)  本件各公告が、決定の掲示場所たる島ケ原村役場掲示場に、現実に公示せられた事実がない。故に、その公告は、効力を生ずるに由がない。

(三)  承認について、

(1)  承認の決議の違法

県委員会の買収計画に対する承認は、その前提として、村委員会の承認の申請あることを要する。そして、その承認の申請は、村委員会の決議に基いてなされなければならないのであり、同委員会長が単独でその承認申請をする権限はない。しかるに、県委員会の本件各買収計画に対する承認の決議は、(よしそれがあつたとしても)右の如き適法な村委員会の承認申請に基かないでしたものであるから、無効である。

(2)  承認書原本不存在の違法

各承認書の原本が、当該日時に県委員会において作成せられて、同会に備付せられた事実がない。故に、その各承認は、無効である。

(3)  承認書の内容の違法

仮りに、承認書原本の作成ありたりとするも、その作成には、承認の決議に関与した委員の署名捺印を必要とし、かつ承認書においても、委員会の決議に基いた旨の表示を必要とするものである。しかるに、本件各承認書には、右各要件を欠如しているから、当該承認は、無効である。もとより、委員会長は、単独で之を作成する権限がないから、委員会長名義の承認書は、違法である。

(4)  承認書送達の時期に関する違法

第一、二号表農地に関する買収の時期は、昭和二十二年三月三十一日であり、第三号表農地に関する買収の時期は、昭和二十三年七月二日である。しかるに、県委員会の承認書が島ケ原村役場に送達せられたのは、前者については昭和二十二年四月十四日であり、後者については昭和二十三年七月十六日である。このように、買収の時期よりも後に承認書が到達した場合には、当該承認は法定の時期を徒過したものとして、無効といわねばならない。

(四) 買収令書の発行交付について、

(1)  買収令書発行の時期に関する違法

第一、二号表農地に関する買収令書は、昭和二十二年三月三十日付で、第三号表農地に関するそれは、昭和二十三年七月一日付で、それぞれ発行せられているが、前記(三)の(4) において示したとおり、各買収計画に対する承認書が村委員会へ送達せられたのは、それぞれ昭和二十二年四月十四日と昭和二十三年七月十六日である以上、右各買収令書の発行行為は、違法な承認処分の効力発生前になされたものとして、無効である。

(2)  買収令書交付の時期に関する違法

買収令書は、買収計画に定められた買収の時期までに、被買収者に交付せられるか又は公告せられることは、法定の要件である。それ故、買収の時期を徒過した後に至つて、買収令書の交付又は公告がなされたとしても、買収の効力を生ずるに由がない。しかるに、第一、二号表農地については、その買収の時期は昭和二十二年三月三十一日であるにかかわらず、令書が控訴人先代に交付せらたのは同年五月である。又第三号表農地については、その買収の時期は昭和二十三年七月二日であるにかかわらず、その買収令書は未だ控訴人先代に交付もせられていないし、公告も行われていない。従て本件農地に関する買収は、すべて違法無効である。

(3)  第三号表農地に関する買収令書の内容の違法

元来、買収令書の内容は、買収計画の内容と一致することを要するは、多言を俟たないところである。しかるに、

(イ)  この買収令書には、対価金千二百九十九円二十銭とし、内農地証券を以て金千円、現金を以て金二百九十九円二十銭を交付すると表示しているに反し、買収計画書には、対価金額千二百九十九円二十銭を現金払として表示しているすなわち、対価支払の方法の点において、両者の内容は一致していない。

(ロ)  買収令書によれば、対価中現金は買収の日に支払うも、農地証券は買収の日より一年内に日本勧業銀行上野支店において交付するとあり、之に対し、

(A)  買収計画書においては、対価は買収の時期に土地所有者たる控訴人先代に支払う旨を決定したものである。それ故、両者は対価支払の時期の点において一致していない。

(B)  買収計画書においては、対価支払の場所を明示しないが、計画自体の性質上その支払は、三重県庁において履行せらるる趣旨と解すべきものである。それ故、両者は対価支払の場所の点において一致していない。

従て、右買収令書は、その内容上無効である。

以上詳説したごとく、本件買収手続における各個の行為が違法無効であるかぎり、本件買収は、総括的に無効となるこというまでもないから、被控訴人国に対して本件買収の無効なそことの確認を求める次第である。

そして、被控訴人増森、同高柳、同田増に対して、控訴人等の、所有に層する第一号乃至第三号表農地の所有権の確認を求める次第である。

第三、政府売渡の無効

本件各農地に対する政府の買収が、以上述べたとおり無効なるかぎり、政府の売渡が効力を失うことはいうまでもないが、その外、政府のした第一号乃至第三号表農地の売渡処分には、左の如き手続上独自の瑕疵があつて無効である。すなわち、

(1)  売渡計画につき、適法な村委員会の決議がない。

(2)  売渡計画書は、次の諸点において違法である。

(イ)  村委員会の何日の決議に基く計画なりやの表示がない。

(ロ)  この計画書作成の日時及び備付の日時の表示がない。

(ハ)  公告の期日の表示がない。

(ニ)  計画書作成者の署名捺印がない。

(3)  公告が適法に実施せられた事実がない。

(4)  承認申請につき、村委員会の決議を経ていない。

(5)  承認に関し、県委員会において適法な決議をしていない。

(6)  承認書は、県委員会長名義を以てて作成され、かつ、それは、各売渡期日後に村委員会に送達せられた違法がある。

(7)  売渡通知書は、次の諸点において違法である。

(イ)  各売渡通知書は、売渡計画書に定める売渡期日よりおくれて発行されている。

(ロ)  売渡対価は、売渡期日までに納入すべきものであるにかかかわらず、買受人たる被控訴人増森、同高柳、同田増は、いずれもこれを遵守していない。

(ハ)  売渡期日前に適法な承認行為がない。

(ニ)  第三号表農地の売渡通知書には、その発行の日付の記載がない。

以上によつて、被控訴人等に対し前記請求に併せて本件各売渡処分の無効なることの確認を求める次第である。

被控訴人等代理人は、答弁として左のとおり述べた。

第一号乃至第三号表農地が控訴人先代の所有に属していたものなること、村委員会が第一、二号表農地につき控訴人先代を不在地主と認め、不在地主の小作地として自創法第三条第一項第一号に則り、昭和二十二年一月二十九日買収計画樹立の決議をなし、又第三号表農地は、いわゆる仮装自作地として同法第三条第五項第二号に則り、昭和二十三年三月二十二日買収計画樹立の決議をなし(控訴人主張の同年六月一日は、後記の如く念のため二度目の公告をしただけである)、それぞれ之に基いて政府は右各農地を買収したことはこれを認めるが、政府のした右各買収には、次に述べるとおり、控訴人等主張の如き実体上及び手続上の瑕疵は少しもない。

第一の(一)について、

第一、二号表農地の買収計画樹立当時に、控訴人先代の住所が島ケ原村に在つたことは否認する。右買収計画当時控訴人先代の住所は、京都府宇治市五ケ庄にあつたものである。こゝにその根拠を示すに、控訴人先代は、昭和二十一年三月三十一日京都府立桃山高等女学校(京都市伏見区桃山町井伊掃部十六に在り、現在はその校舎は、京都学芸大学桃山分校に充てられている)に奉職し、昭和二十三年同校が廃止となり、別に京都府立桃山高等学校(京都市伏見区桃山町毛利良門に在り)が創立せられると共に、同校の事務官に任命せられたのである。従て本件買収計画樹立当時には、控訴人先代は京都府立桃山高等学校の事務官であつたのである。

控訴人等は、控訴人は先代当時の住所島ケ原村三四五五番地山本方から、右勤務先へ原則として汽車通勤をしていたというのであるけれども、右山本方から島ケ原駅までの距離約二、五粁徒歩三十分位を要し、島ケ原駅から桃山駅までの距離は、五十二、六粁所要時間一時間半位であるから、石山本方から桃山高等学校までは、約二時間を要することとなる。しかるに、控訴人先代が自己の名義を以て昭和二十一年四月一日所管庁たる近畿財務局から借りうけた旧東京第二陸軍造兵廠宇治製造所官舎建坪十八坪(その敷、地は百二坪)は、宇治市五ヶ庄(旧宇治郡東宇治町)に在りしかも、控訴人先代の勤務先桃山高等女学校との間の距離は、僅々一、五粁位徒歩二十分位を要するだけ(電車の便もある)の便宜があつたのであるから、わざわざ当時交通地獄と称せられた雑沓をきわめる汽車を利用し、長時間を要する不便を忍んでまで通勤した、ものとみるよりは、右宇治市五ケ庄所在の官舎を生活の本拠として、之に寝起きしていたとみる方が自然であると信ずる。現実に、控訴人先代は、生存中右官舎を借用居住しているのである。控訴人等は、右官舎は控訴人申島綾子の住居なるごとくいうけれども、真実でない。というのは、右官舎は、相当広い敷地内に建てられており、当時物情なお騒然たりし折柄、このような住宅に妙齢の女子をたゞひとり住まわせることには、親として多大の不安をいだくのが人情の自然であることを想えば、控訴人先代がその娘控訴人中島綾子と右官舎において世帯を一にして、共に暮していたものとみるのが肯綮に中つている。まして、控訴人中島綾子が宇治国民学校に初めて奉職したのは、昭和二十一年四月二十二日のことであり、控訴人先代が右官舎を借りうけたのはそれよりも前のことに属するから、控訴人中島綾子のみの住居に充てるためのものでなかつたことが明である。

さらに、控訴人先代が昭和二十三年三月三十一日付及び昭和二十四年九月二十七日付で提出した、適格審査のための調査表によると、控訴人先代の住所は、京都府宇治郡東宇治町五ケ庄梅林四十番地又は京都府宇治郡東宇治町五ケ庄四十と記載されていて、これらは、宇治市五ケ庄官有地なる同一場所の旧呼称であることは、控訴人等も認めるところである。そして、右はいずれも買収計画樹立後の記載に係るものではあるが、計画樹立当時から、控訴人先代の右官舎使用状況になんらの変動がないことから推して、当時の控訴人先代の住所が宇治市五ケ庄なることを控訴人先代自ら表示しているものというべきである。尤も、控訴人先代の妻控訴人中島トミだけは、その頃島ケ原村に居住して多少の農を営んでおり、控訴人先代に対する物資の配給は、同村にいて控訴人中島トミが受取つていたため、同控訴人が同村において控訴人先代の名義を以て供出をなし、公租公課を納めていたにすぎない。

以上の次第であるから、右農地は、当時自創法第三条第一項第一号にいわゆる不在地主の小作地(第一号農地は控訴人増森に、第二号農地は被控訴人高柳に、それぞれ控訴人から夙に賃貸して小作せしめているものであることは、控訴人等も自認するところである)に該当すること明白であるから、その買収にはなんらの違法はない。

第一の(二)について

第三号表農地については、自作農たる控訴人先代と被控訴人田増との間において、昭和二十三年二月十一日耕作の請負契約が成立し、その契約に基いて、爾後同被控訴人が現実にその農地を耕作の業務の目的に供していたものであり、その請負契約を控訴人等主張の如く同年四月九日合意を以て解除した事実は毛頭ない。右合意解除の証左として控訴人等が援用する甲第三十三号証(誓約書)は、控訴人先代の強制よつて作された書類にすぎないのであり、その時なお右請負契約そのものは存続し、同被控訴人において該農地を耕作していた事実に変りはないのである。従て、昭和二十三年三月二十二日の本件買収計画樹立当時、右農地が自創法第三条第五項第二号にいわゆる仮装自作地に該当すること明であり、その買収になんらの違法はない。

第二について、

本件買収に関し、手続上瑕疵ありとの主張は争う。本件各買収は、次のようにして行われた。すなわち、

(1)  第一、二号表農地については、前記のとおりこの農地を不在地主の小作地に該当するの故を以て、自創法第三条第一号に則り、昭和二十二年一月二十九日村委員会において、買収の時期を同年三月三十一日とする買収計画を議決し、以て買収計画を樹立し、同年二月十三日その旨の公告をなし、かつ同月十四日から十日間書類を制規の場所にて縦覧に供した。ところが、この買収計画に対して控訴人先代から異議申立があり、同月二十四日同委員会の決議によつて却下の決定がなされたが、この決定に対して所定期間内に訴願がなかつたので、同年三月十四日同委員会は、県委員会に対して該買収計画の承認をめ、同月二十八日県委員会は、その承認の議決をなし、村委員会にその旨を通知する一方、同月三十日三重県知事は、該承認に基いて控訴人先代に対してその買収令書を発行し、その頃これが控訴人先代に交付せられた。

以上の手続によつて買収処分を完了したので、政府は、買収の時期において、第一号表農地を被控訴人増森に、第二号表農地を同高柳にそれぞれ売渡処分をなし、同被控訴人等において爾後右各農地の所有権を取得するとととなつたのである。

(2)  第三号表農地については、前記のとおりこの農地を仮装自作地に該当するの故を以て、自創法第三条第五項第二号に則り、昭和二十三年三月二十二日村委員会において、買収の時期を同年七月二日とする買収計画を議決し、以て買収計画を定め同年三月三十日その旨の公告をなし、かつ同年四月一日から十日間書類を制規の場所にて縦覧に供した。ところが、この買収計画に対しても控訴人先代から異議の申立があり、同年四月二十六日同委員会の決議によつて、却下の決定がなされた。しかるに、控訴人先代は、これに対しさらに同委員会に陳情をした。そこで、同年六月一日同委員会において再審議の結果、本件買収を続行することと決まつたので、念のため重ねて同日本件買収計画を公告し、かつ同日から同月十一日まで書類を縦覧に供した。右却下の決定に対して所定の期間内に訴願がなかつたので、同月十七日村委員会は、県委員会に対して該買収計画の承認を求め、同月三十日県委員会は、その承認の議決をなし、村委員会にその旨を通知する一方、同年七月一日三重県知事は、該承認に基いて控訴人先代に対しその買収令書を発行し、その頃これが控訴人先代に交付された。

以上の手続によつて買収処分を完了したので、政府は、買収の時期においてその農地を被控訴人田増に売渡処分をなし爾後同被控訴人において之が所有権を取得するに至つたのである。

以上の手続において、もとよりなんらの瑕疵がないこというまでもないが、控訴人等は、その手続上における四個の行為を捉えて、その各々に瑕疵があると主張するから、逐次反駁を加える。

第二の(一)について、

本件各買収計画書は、甲第二十六号証の一及び九の示すととおり、村委員会の定めた適法適式なものであることが明白であり、控訴人等において不備として摘示する事項は、これによつて当該買収計画の効力を左右するようなものではないが、その中、甲の(5) 及び乙の(ロ)について一言する。

甲の(5) について、

被控訴人増森は、当該農地買収手続の完了後、買収の時期と同じ日付でその農地の売渡をうけたものであつて、同被控訴人が該農地買収計画樹立の議事に参与したからといつて、農地調整法第十五条の二十四にいわゆる自己に関する事件について参与する場合に該当するものとはいえない。仮りに之に該当するとしても、その議決は絶対無効とするほどの瑕疵あるものではない

乙の(ロ)について、

昭和二十三年三月二十二日の村委員会の本件買収計画樹立の議決は、決して取消されたものではなく、単に事務上手続の進行が一時保留されただけにすぎない。そして、その後買収手続が適法に進行されたことは、すでに述べたとおりである。之を要するに、控訴人等主張の如く二度買収計画が定められたものではない。

なお、この農地買収については、その令書の交付に代るべき公告をも完了している。すなわち、右買収令書の交付は、一般の場合と同様地元農地委員会に嘱託して行つたのであるが、偶々対価の支払状況の一斉調査の際他の多数の案件と共に、本件も未だ対価が受領されておらず、供託も未了なることが発見されたので、これら案件の整理のため、昭和二十五年五月十五日県公報第六四四一号に一括して公告し、形式上も買収処分の完了を明確にしたのである。それ故、買収処分は未了であるとの控訴人等の主張は、理由がない。

第二の(二)について、

公告につき特に控訴人等主張の如き議決を要するものでなく、又買収計画の内容を表示するものなることを要しない。買収計画の公告は、市町村事務所の掲示場に買収計画の定められたこと及び書類縦覧の日時場所を明にすれば足りるのである。

第二の(三)について、

自創法第八条所定の事由の生じたときは市町村農地委員会は都道府県農地委員会の承認を求むべきであつて、その承認を求めるについて、特に前者の議決を経ることを要するものでなく、前者を代表する会長において、申請を行えば足りるのである。そして、本件において、村委員会の会長が県委員会に対し適法な承認申請をしていることは、甲第二十六号証の六及び十六によつて明である。県委員会は、右申請に基いて、昭和二十二年三月二十八日及び昭和二十三年六月三十日の本会議において、本件各買収計画の承認の議決をしているのであり、承認書の原本を作成することは、法の要求するところではない。

県委員会において承認の議決があつたときは、委員会を代表する会長は、当然これを村委員会に通知すべきであり、もとより、承認に関する書面の作成について、県委員会の議決に基く旨を表示したり、議決に関与した委員の署名捺印を要するものでない。

元来、承認は、対外的関係における独立の行政処分ではなく、行政庁相互間の内部的行為にすぎない。従つて、その申請をした行政庁に到達しなければ効力を生じないというものではなく、承認の議決自体によつてその効力を生ずるものである。本件において、県委員会は、右の如く承認の議決をしたのであるから、承認の通知が各買収の時期よりも後に村委員会に到達したからといつて、承認を無効とする理はない。

第二の(四)について、

承認は、その議決があればその効力を生ずるものであることは右に述べたとおりであり、三重県知事は、その承認の議決に基いて、本件各買収令書を発行したものであるから、少しも瑕疵はない。又買収の時期より前に、買収令書が交付又ば公告せられることは、法の要求するところではない。けだし、買収の時期は、買収計画の中に示されており、当然買収の時期に政府が買収物件の所有権を取得するに至るべきことが予定されているからである。又対価支払の方法については、自創法第四十三条及び昭和二十二年大蔵農林省令第二号農地証券発行交付規程によつて、農地証券を以てすることが許されており、本件買収令書は、之によつたものであるから、買収計画と少しも齟齬するところがない。対価支払の時期及び場所については、買収計画において之を定めていないのであり、買収令書に之を定めたからといつて、それが違法となるものでない。

以上控訴人等の主張の理由なきゆえんを述べたが、ひるがえつて本件買収に関し、控訴人等主張の如き実体上及び手続上の瑕疵がたとい万一存在するとしても、それは、本件各買収を絶対無効ならしめる程度のものでは決してない。本件各買収に関する行為が、これを取消しうるものとしては、夙に出訴期間を経過しているから、最早やその効力を争いえない状態となつているのである。従て控訴人等の本訴請求は、その前提たる違法の事実につきなんら立証を俟つまでもなく、主張自体からみて棄却を免れないものと信ずる。

第三について、

本件各買収の効力とは無関係に、単に本件各売渡に関する行政処分の効力を争うことについては、控訴人等はなんら法律上の利益がない。けだし、本件各買収が適法有効であれば、国はこれによつで原始的に本件各土地の所有権を取得し、控訴人等はその所有権を喪失するに至るのであり、売渡処分の効力が否定されたからといつて、控訴人等がその所有権を回復するわけではないからである。

以上によつて、控訴人等の本訴請求は、すべて速に排斥せらるべきである。

証拠〈省略〉

理由

本件第一、二、三号表農地が本件買収前控訴人先代所有に属するものであつたこと、村委員会は、第一、二号表の農地については、控訴人先代を以て不在地主と見做し、自創法第三条第一項第一号に準拠して、昭和二十二年一月二十九日その買収計画を樹立し、之に基いて、政府は右各農地を買収したこと、第三号表農地については、村委員会は、之を以て仮装自作地と見做し、同法第三条第五項第二号に準拠して、その買収計画を樹立し、之に基いて、政府は右農地を買収したこと並に第一、二号表農地は、被控訴人増森、同高柳において夙に契約に基いて小作しているものなることは当事者間に争がない。

第三号表農地については、控訴人等は、昭和二十三年三月二十二日第一次買収計画、同年六月一日第二次買収計画が樹てられ、前者は、後者によつて取消されたと主張するけれども、後に説明するとおり右農地の買収計画は、同年三月二十二日その樹立の議決がなされたものであり、後者はその樹立に関するものでない。

そして、第一、二号表農地の買収計画は、昭和二十二年二月十三日公告がなされたことが成立に争のない甲第二十六号証の三によつて明であり、又第三号表農地の買収計画は、昭和二十三年三月三十日公告がなされたことが成立に争のない同第二十六号証の十一によつて明である。

控訴人等は、右各農地の各買収計画及び之に続く各種の行政行為に実体上及び手続上いろいろの瑕疵があるから、その各買収は、絶対無効であると主張する。よつて、その瑕疵の存否について逐次検討する。

第一の(一)について、

第一、二号表農地の買収計画が適法なりや否やは、その買収計画樹立の議決(昭和二十二年一月二十九日)及びその公告(同年二月十三日)の時を標準として、決すべきものであることはいうまでもない。しかして、控訴人先代の住所の所在如何は、本件買収処分の違法なりや否やを決する重要な事項である。

そこで、当時控訴人先代の住所が控訴人等主張の如く島ケ原村に在つたか、将た又被控訴人等主張の如く宇治市に在つたかが、本件買収計画の効力に影響する問題となる。

よつて考えるに、成立に争のない甲第三号乃至第十一号証、同第十三、十四号証、同第一六号乃至第十八号証、同第四十号乃至第四十六号証、同第五十五号証、同第五十八、五十九号証、同第一七十七号証、真正に成立したと認むべき同第四十七号乃至第四十九号証、同第六十八号証、同第六十九号証の一、二、同第七十号証、当審証人山本三代治の証言により成立を認めうる同第十五号証及び当審における証人森島与右エ門、同田中一夫、一同山本三代治並に控訴本人(先代)中島顕誠の各訊問の結果を綜合すると、控訴人先代は、島ヶ原村の出身で、東京に出て働いてたが、昭和二十年東京において戦災に遇い、同年八月頃妻の控訴人中島トミ、娘の控訴人中島綾子(大正十二年二月一日生)、息子の控訴人中島哲一(大正十五年三月三十一日生)を伴つて島ケ原村に帰郷した上、同年十月頃から同村三四五五番山本三五郎方離れ屋を借受け、自己は、常時同所に寝起はしていなかつたけれども、控訴人中島トミと控訴人中島哲は、常時同所に居住して控訴人先代所有にかゝる第三号表農地外若干の農耕に従事していたこと、昭和二十一年十月一日及び翌二十二年九月十五日調製の島ケ原村における衆議院議員選挙人名簿に登載せられて、選挙権を行使していたこと、同村において主食その他一般物資の配給をうけていたこと、肥料その他農耕用品の配給をうけていたこと、農産物の供出をしていたこと、同村農業団体に加入していたこと、住民税を納入していたことなどが認められる。

この事実からすると、当時控訴人先代の住所は、島ケ原村三四五五番山本三五郎方に在つたのをみるのを妥当とするであろう。

しかし、一面成立に争のない乙第一号証の一、二、同第二号証、同第六号証、同第十号証、同第十一号証の一、二、同第十二号証乃至第十六号証、当審における証人山本三代治、被控訴本人増森武雄、同高柳兼雄の各訊間の結果に、前記控訴本人(先代)中島顕誠の供述の一部を綜合すると、控訴人先代は、右のとおり昭和二十年八月頃妻子を伴つて東京から帰村し、翌二十一年四月一日から京都府立挑山高等女学校に事務官として奉職したが、右勤先は、島ケ原村から二時間余を要する遠距離に在つたため、勤先に近距離で、頗る便宜な位置に在る宇治市五ケ庄官有地所在の、旧東東第二陸軍造兵廠宇治製造所官舎(敷地百坪余。建坪十八坪)を、その頃近畿財務局から借受けて、恰も同年四月二十二日宇治市立宇治小学校に助教諭として奉職した娘の控訴人申島綾子と共に、同官舎の居住し、日曜、休日を利用して前記島ケ原村居住の妻の控訴人中島トミの許へ帰つていたけれども、その他は専ら右官舎において過し、前記学校へ勤務に出ていたこと、本件買収計画樹立の少し前たる昭和二十一年十二月十一日、控訴人先代から島ケ原村居住の実弟被控訴人高柳に宛て、第二号表農地の返還を求めて差出した手紙(乙第一号証の一、二)において、控訴人先代は、恰も自己の住所が右官舎である如き表現をしていることが認められる(なお後日控訴人先代自ら作成した乙第十三号証、同第十四号証の各調査表にも同様の表現をしている)。なお、恐らく控訴人先代の右勤務による収入は、控訴人一家が農耕により得るものよりも多額と推測せられる。

この事実に着眼すると、当時控訴人先代の住所は、宇治市五ケ庄官有地官舎にあつたと認めることも相当に根拠があるとせざるをえない。

ひるがえつて、控訴代理人は、村委員会は控訴人先代の住所が島ケ原村山本三五郎方に在ることを知りながら、故らに、控訴人先代の住所は島ケ原村にないと看做して、本件買収計画を定めた心と主張するから、この点を明にしなければならない。ところが、このようなことを認めるに足りる証拠は少しもなく、却て前記甲第二十六号証の二、乙第一号証の一、二、被控訴本人高柳兼雄の供述によると、村委員会は、相当の調査をした後右のような根拠に基いて、控訴人先代の住所は宇治市内に在ると信じて本件買収計画を定めたことが推知せられる。

さて、叙上説示のように、当時客観的には控訴人先代の住所は島ヶ原村であるとしても、同村と宇治市との何れをその住所と認むべきかの判定は、必しも容易なわざではなく、頗る困難なことがらであるとしなければならない。それ故、村委員会が控訴人先代の住所を宇治市に在るとしたのは、誤認ではあるけれども、右のような事情にかんがみると、かゝる誤謬をしたことは、洵に無理からぬことであり、己むを得なかつたものといわなければならない。

このような場合には、村委員会が右誤認に基いて樹てた本件買収計画には、控訴人先代の住所認定につき瑕疵があつて、重要な、法規違反であるが、外観上この瑕疵は、明白な瑕疵とはいいえないのであり、ひつきよう、村委員会が控訴人先代の住所につき誤認をしても、その誤認があながち咎めらるべきでない顕著な事情があみと認めらるゝ本件においては、その誤認に基く買収計画は、当然無効となるべき行為ではなく、単に取消訴訟の対象となるにすぎないものと解するを相当とする。

そして、本件においては、右買収計画に付てはもとより、之に続く各処分の取消訴訟を提起するためには、夙に出訴期間を経過していることが記録上明白であるから、控訴人等はもはやを提起することを得ない状態にあるといわなければならない。

とすると、本件買収は、他に手続上の瑕疵なきかぎり、結局有効と認めるの外はない。

従て、控訴人等の本主張は理由がない。

第一の(二)について、

第三号表農地の買収計画樹立の議決は、昭和二十三年三月二十二日行われ、かつ、その公告は、同月三十日なされたことは前に述べた。よつて、右農地の買収計画が適法なりや否やは、右の時を標準として決すべきものであることは、第一の(一)の場合と異らない。

ところで、控訴人等は、右農地の買収計画を違法とする主たる理由として、右農地につき控訴人先代と被控訴人田増間に同年二月十一日請負契約書と題する書面(甲第三十二号証)を作成した事実はあるが、その趣旨は、決して請負契約を締結したものではなく、単に労務提供の契約を定めたものであるというのである。そして当審控訴本人(先代)中島顕誠は、右主張に副う供述をしているけれども、それは、後記各証拠と対比してたやすく信用するわけにはいかないし、甲第三十四、三十六、五十九号証によるも、未だ以て控訴人等の右主張を認めるに足らず、その他之を認めるに足りる証拠はない。却て、成立に争のない甲第二十六号証の十及び十四、同第三十三号証、同第五十六号証、乙第五号証及び当審被控訴本人田増菊松の供述、並に同供述により成立を認めうる乙第四号証に、成立に争のない甲第三十二号証の記載内容を綜合すると、昭和二十三年二月十一日控訴人先代と被控訴人田増間に、右農地につき耕作の請負契約が成立したことが認められ、かつこの契約に基いて、同被控訴人はその頃から右農地を耕起し堆肥施用をなして、少なくとも同年度の夏作の始められる頃迄は現実に之をその耕作の業務の目的に供していたことが認められる。

とすれば、本件買収計画樹立の議決及びその公告の当時においては、右農地は、自創法第三条第五項第二号にいわゆる仮装自作地に該当する農地であることが明白であるから、本件買収計画には、違法はないといわねばならない。控訴人等主張の如く、たとい右買収計画の後たる同年四月九日において、右請負契約を解除したればとて、本件買収計画の効力にはなんらの影響を及ぼすものでないこというまでもない。

なお、控訴人等は、自創法第六条の四の規定による買収を違法と主張するが、同条による買収は、被控訴人の主張しないところであるのみならず、右にみたとおり、同法第三条第五項第二号による現時買収に違法なきかぎり、控訴人等のこの主張の当否を判断する必要はない。

よつて、本件買収計画に実体上の瑕疵があつてそれを無効とし、之を前提として各種の処分がすべて無効となるとの控訴人等の主張は、理由がない。

第二について

成立に争のない甲第二十六号証の一乃至七及び九乃至十七、同第二十七号証の二、三及び六、七、同第三十一号証の一、二、同第五十七号証、同第六十号証、乙第七号証に当審被控訴本人増森同高柳、同田増及び控訴本人(先代)中島顕誠(一部)を綜合すれば、本件各農地の買収に関し、被控訴人主張のとおりの手続が履践されたことを認めうる。控訴人等は、右手続中における各個の行為について瑕疵があると主張するから、その存否を逐次検討する。

第二の(一)のうち、甲の(5) について、

農地調整法第十五条の二十四には、「委員は自己並に同居の親族及び其の配偶者に関する事件につき議事に参与することを得ず」と規定しているが、被控訴人増森が第一号表農地の小作人であつたからといつて、その買収計画樹立の議決に参与することは、右規定に抵触するものでないと解するを相当とする。よつて、控訴人等の主張は採用しがたい。

第二の(一)のうち、乙の(ロ)について、

控訴人等は、第三号表農地買収計画に関する昭和二十三年三月二十二日の村委員会の議決は、再審議の結果取消され、改めて同年六月一日の議決によつて、右農地の買収計画を定めたと主張する。

しかし、村委員会は、同年三月二十二日の議決を経て、同月三十日本件農地につき買収計画を定めた旨を公告したところ、之に対し控訴人先代から異議の申立があり、同年四月二十六日同委員会は却下の決定をした。すると、控訴人先代は、之に対し更に同委員会に対し陳情をしたので、同委員会は、同年六月一日再審議に附したのであるが、結局前記昭和二十三年三月二十二日定めた買収計画の正当性を確認して、一時留保していた手続の進行を始めることとし、念のため、重ねて同年六月一日右買収計画を公告したことが、前記第二冒頭記載の各証拠によつて明白である。

これを要するに、本件農地の買収計画は、同年三月二十二日定められ、その公告は同月三十日適法になされた事実は不動であり、右買収計画が後の議決によつて取消されたものではなく(もとより第二次の買収計画の樹立は存しない)、同年六月一日の公告は、無用のものに外ならないのであり、この公告あるがため、すでに完結した右買収計画の効力に影響するものではないと解するを相当とする。

従つて、同年三月二十二日の買収計画が後の議決によつて取消されること及び第二次の買収計画が樹てられたことを前提とする、控訴人等の本主張は採用しがたい。

第二の(一)のその余の部分について、

控訴人等が買収計画書というのは、自創法第六条第五項の第一号から第四号までの事項を記載した書類をさすものと解せられるところ、第一、二号表農地について、右の事項を記載した甲第二十六号証の一及び第三号表農地について、同事項を記載した甲第二十六号証の九によると、各その表紙に三重県阿山郡島ケ原農地買収計画、島ケ原村農地委員会と表示しあり、かつその名下に委員会の印が押捺しあることが認められ、それにて充分であり、それ以上に控訴人等主張のような事項を記載すべきことを要請した規定はないし、又この書類は、島ケ原村の事務所において公告の日から十日間縦覧に供すればいいのであつて、その外に之を公告の日以前に委員会に備付すべきことを要請した規定はない。

よつて控訴人等の主張は理由がない。

第二の(二)のうち、

(1)について、自創法第六条第五項によると、市町村農地委員会は、買収計画を定めたときは、遅怠なくその買収計画を定めた旨を公告すれば足りるのであつて、買収計画の内容をそのまゝ表示することは公告の要件ではない。

(2)について、公告につき控訴人等主張の如き議決を要するものでないことは、自創法第六条第五項の規定自体から明白であり、その公告の方式については、別段の規定はないから、農地委員会長名義を以てするもさしつかえない。

(3)については、之を認むべきなんらの証拠がない。

よつて、第二の(二)の主張はすべて理由がない。

第二の(三)について、

市町村農地委員会が当該農地買収計画について、自創法第八条いによつて都道府県農地委員会の承認をうけるに当つて、特に承認をうけるという議決を経ることを要するものでなく、その承認申請は、市町村農地委員会を代表する会長において之をすれば足りるのであり、本件においても、甲第二十六号証の六及び十六によると、村の委員会長から本件各買収計画についての承認を申請していることが明であるから、県の委員会が之に基いて昭和二十二年三月二十八日及び昭和二十三年六片三十日の会議において、本件各買収計画の承認の議決(第二十七号証の二及び六参照)をしたことは、少しも違法でない。

元来、この承認という行為の本質は、外部に向けて表示せられるものでなく、行政庁内部の意思表示という点にあつて、知事が買収令書発行交付の前提要件としての承認があつたとするためには、県の委員会の承認の議決が成立すれば足りると解すべきであり、その意思表示が必ずしも買収の時期よりも前に、村委員会に到達していなければならないものではなく、又控訴人等主張の如き形式を具えた承認書を作成した上、之を県委員会に備付しておかなければならないものでもない。従つて、該承認の通知が買収の時期よりもおくれて、村委員会に到達したからといつて、少しも違法ではない。

よつて、控訴人等の主張は理由がない。

第二の(四)のうち、

(1)及び(2) について、知事が買収令書を発行交付する前提として、県委員会の承認の議決さへあれば足りると解すべきことは、前に説明した。

そもそも、買収の時期は、市町村農地委員会が買収計画を定めた場合、市町村の事務所において縦覧に供すべき書類における必要的記載事項であり、買収手続の頭初から公表せられているのであり、知事のする買収令書の交付は、その買収計画を実現するものに外ならない。従つて、被買収者は、頭初から買収により当該買収物件の所有権を喪失すべき時期を知りうる筋合であるから、令書の交付(之に代るべき公告)が買収の時期よりもおくれたからといつて、買収を違法とすることは当らない。

本件において、県委員会は、第一、二号表農地につき昭和二十二年三月二十八日、第三号表農地につき昭和二十三年六月三十日承認の議決をしており、かつ右承認のあつた各買収計画により、三重県知事は、前者につき昭和二十二年三月三十日付で、後者につき昭和二十三年七月一日付で各買収令書を発行したことはすでにみたとおりである。そして、前者の令書が昭和二十二年五月中控訴人先代に交付せられたことは、控訴人等の自認するところであり、後者の令書は、次に説明するとおり、昭和二十四年三月五日頃控訴人先代に適法に交付せられたものとみるべきであるから、その間少しも瑕疵はない。

すなわち、前記控訴本人(先代)中島顕誠の供述(一部)と成立に争のない甲第六十号証、同第七十二号証によると、右買収令書が右同日頃前記の宇治市五ケ庄官有地所在の官舎に送達せられたところ、控訴人先代と同所において同居していたその娘の控訴人中島綾子(大正十二年二月一日生)は、一旦之を受取り、その内容を別に写し取つた上(それが甲第三十一号証の二である)、控訴人先代は同所に居住せずと称して、右令書を島ヶ原農地委員会長宛に返送したことが認められる。

しかしながら、前記乙第六号証、同第十号証、同第十三号証によると、右令書の送達当時には、控訴人先代は島ケ原村から右官舎にその殆んどすべての家財道具を運び去つていること、島ヶ原村における選挙人名簿からその登載を削除されていること、自ら住所が右官舎であることを公表していることが認められるから、令書送達の当時は、右官舎が控訴人先代の住所であつたことはまちがいない。従つて、右令書が右官舎に宛てゝ送達されたのは当然であり、同居せる娘の控訴人中島綾子において之をうけとり、その写まで作成した以上、たとい同控訴人が之を恣に返送したからといつて、その時控訴人先代に交付されたものとみるに少しも妨げない。

なお、仮りに当時に交付なかりしものとするも、成立に争のない乙第七号証によれば、その交付に代はるべき公告がなされていることが明であるから、全く交付がなかつたとはいえない。

よつて、控訴人等の主張は理由がない。

(3)について、対価支払の方法、時期、場所は買収令書の記載事項であるが、これらは、買収計画を定めたとき縦覧に供すべき書類(控訴人等のいわゆる買収計画書)の記載事項ではないこと、自創法第九条第二項と第六条第五項とを対照して自明のことがらである。それ故、法定の記載事項の差異の限度において、両者が合致しないのはむしろ当然のことである。

本件において、甲第二十六号証の九(買収計画書)と同第三十一号証の二(買収令書)によると、それぞれ同法第六条第五項と第九条第二項の要件を充たした記載があり少しも違法でない。

なお、対価支払の方法については、同法第四十三条及び昭和二十二年大蔵農林省令第二号農地証券発行交付規程によつて、農地証券を以てその対価を交付することができる旨を定めているから、右買収令書においても之に遵つているものである。

よつて、控訴人等の主張は理由がない。

以上みたところによつて明なとおり、本件各農地の買収に関して手続上の瑕疵は少しもないのである。そうだとすれば、本件各農地の買収は、すべて無効でないものというべく、第一、二号表農地の所有権は、その買収令書に買収の時期として記載された昭和、二十二年三月三十一日、第三号表農地の所有権は、同じく買収の時期として記載された昭和二十三年七月二日、それぞれ国に帰属したものと認めるの外ない。従て、控訴人先代は、右各同日右各農地に対する所有権を喪失したものといわなければならないのである。

とすれば、被控訴人国に対して本件各農地の買収の無効確認を求める請求部分は、失当として排斥すべきものであると共に、被控訴人増森、同高柳、同田増に対し、その所有権の存在を前提とする請求部分も亦他の争点について判断をするまでもなく失当として棄却すべきものである。

第三について、

以上みたとおり、本件各農地の買収は無効でないから、それが無効であることを前提として、延いてその売渡が無効となるという控訴人の主張は、採るに足らない。

本件各農地の売渡に独自の手続上の瑕疵があつて、無効であるという主張について考えるに、控訴人等は、本件各買収によつてすでに右各農地の所有権を失つているのであるから、その売渡に関する各行為の無効を主張するについて、なんら法律上の利益がないと解するを相当とする。

されば、被控訴人等に対しその売渡の無効確認を求める請求部分も失当として排斥を免れない。

よつて控訴人等の本訴請求は、すべて失当としてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条、第九十三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 浜口従六 山口正夫 吉田誠吾)

物件目録〈省略〉

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